「山行き」で地域の歴史を学び、親睦を深める

omura 2016/04/03

観音寺の桜

太平寺わしらのまちづくり委員会による「山行き」が、4月2日(土)に行なわれました。春先に河内の地域ごとに行なわれていた風習を復活させて交流を図ろうと企画されたもので、今年で6回目。

 

今年も地域の人たちが観音寺に集い、満開の桜が見えるなかで、お弁当やワイン、葡萄ジュース、デザート(塩漬けにした桜の花びらを入れたパンナコッタ)などを愉しみました。

 


▲あいさつする「太平寺わしらのまちづくり委員会」 高井会長

 


▲年々工夫が凝らされる山行き弁当

 


▲カタシモワイナリーのワインや葡萄ジュースも提供

 


▲野菜ソムリエ真野さんによる、桜の花びらの塩漬けを活かしたパンナコッタ

 

わしらのまちづくり委員会会長の高井さんより、「かつての風習である山行きを大切にすることで、ますます地域の交流を深めたい」とあいさつ。今回はゲストに柏原市立歴史資料館の安村館長をお招きし、「真田丸と後藤又兵衛が見た柏原市の風景」と題したお話もありました。

 

「今日は皆さん気楽にお聴きください」と安村館長からあいさつがあり、鳥のさえずりも聞こえるなかで、冒頭、河内の「春ごと」についての説明。

 

この地域では、春に山へ行き、川へも遊びに行く風習があり、さらに、柏原では3月25日に道明寺天満宮で行われる「菜種御供祭」(菅原道真の命日にあわせて病気平癒を祈願する神事)に出かける人も多かったそうです。

 

また、太平寺にちなみ、天文11年(1542年)の「太平寺の戦い」で敗れた木沢長政についても触れたあと(墓が太平寺から安堂墓地へと移設)、本題の「真田丸と後藤又兵衛が見た柏原市の風景」のお話が始まりました。

 


▲柏原市立歴史資料館安村館長から、河内の風習や「真田丸と後藤又兵衛が見た柏原市の風景」のお話

 

現在、NHK大河ドラマ「真田丸」が放送中ということもあり、その主役である真田信繁(幸村)と、柏原でもよく知られる後藤又兵衛が、大阪冬の陣・夏の陣においてどのような活躍と役割を果たしたか、の内容。

 

残された文献に基づいて、時系列に細かく記された資料と地図を示しながら、冬の陣における真田丸の存在、夏の陣における後藤又兵衛の奮戦の様子が語られました。

 

大阪夏の陣においては、慶長20年(1615年)5月6日~7日、「小松山の戦い」が柏原で繰り広げられました。当初、現在の平野区あたりで行なわれた又兵衛、信繁、毛利勝永の作戦会議があったものの、その想定より早くに国分の東側から入ってきた徳川勢に対して、後藤又兵衛が孤軍で抵抗せざるを得なくなり、道明寺から小松山に上がり奮戦するも、敗れてしまうまでの細かな説明が。

 

真田信繁は作戦通りに合流できず、なぜ大幅に遅れて誉田へ来たのか(遠回りのような行程で濃霧も原因か?)、また、小松山という名前がいつから付けられたのか(当時、一本の大きな松があったことで勝松、松山の名称は見られるが「小松山」がいつから名づけられているのかはっきりしていない部分がある)、そして実際に又兵衛が死んだ場所がどこなのか、その後各地で残っていく又兵衛の伝承もまじえながら説明があり、興味深い内容でした。

 

最後には、高井事務局長(カタシモワインフード株式会社代表取締役)の進行のもと、地域ならではの質問として、太平寺という地名、智識寺に関する話題にもなり、終始和やかに会話が弾んで、皆さんの親睦が深められました。

 


▲満開となった観音寺に咲く桜を眺めながら、大阪平野を臨む(遠くにあべのハルカス)

 

 

 

協賛