柏原石おこしの第二回目は「横穴」。
「横穴」と目にしただけで、柏原の方は「そんなん知ってる」と感じる方も多いかもしれません。地元ではいわゆる「ベタ」なテーマですが、ここでは石を切り口にするのが基本なので、違った角度からお話を。そうすると、驚くような深い地球の歴史が現れてくるのです。その前に、柏原市付近の地形の成り立ちから。
昨年、かしわらイイネット主催で「探してみようキラリ光る石」を行った際に、「大和川は先行河川である」という話がありました。
これは個人的には不思議な気持ちになりました。というのも、素人の私には「川は生駒山系の南側の麓を探すように流れている」と勝手に考えていたからです。
ではなく、生駒山系が隆起する前から大和川は存在し、その動きを押さえ、山を浸食してきたそうなのです。
と言っても、はるか太古の時代の話。
柏原市の方には馴染みの高尾山を含む生駒山系は約1億年前の花崗岩類(地下でマグマがゆっくり冷え固まってできる)が現れてきたものです。
また、大和川の南側は約1500万年前の火山岩(地表でマグマが急に冷えて固まったもの)が分布しており、その一種として玄武岩などが存在しています。ざっくり、ホントにざっくりですが(汗)、地図にしてみました。
そこで「横穴」。
地図にも示したように、柏原市では国の史跡にも指定されている「高井田横穴」が最も有名。歴史資料館がこの上に建設されているのも、横穴へのリスペクトがあるのでしょうか。
古墳時代後期(6世紀中頃から7世紀前半)に造られ、凝灰岩(ぎょうかいがん)の箇所に掘りこまれています。
凝灰岩は火山灰などが固まってできた堆積岩で、やや軟らかいのが特徴。高井田横穴ではこの凝灰岩を選ぶように掘られているようで、当時の人々は石の質を理解していたのかもしれません。
▲凝灰岩を利用した高井田横穴
実は、この凝灰岩、当初は二上山から噴出してきた堆積岩と考えられていました。大和川を通じてどこかから流れてきたと考えるのが自然だったのでしょう。
が、近年これらは玉手山横穴の岩と性質が一致していることから、ともに「玉手山凝灰岩」と呼ばれ、その源は紀伊半島で大きな火山活動の末にできた「室生火砕流」の一部と判明、この説が有力となりました。
これらは、大台ケ原付近にあった巨大カルデラを作った火山からの堆積物(溶結凝灰岩)。そこまで大規模な火山活動の末にここ柏原において堆積して固まったと考えると、不思議な気がします。
同時期のものとされる奈良県曽爾村の天然記念物「屏風岩」などの溶結凝灰岩は見事な柱状節理を産んでいます。他にも、奈良市地獄谷の石仏凝灰岩も、科学的調査の末に類似していることが判明しました。
ちなみに、和歌山県観光協会による「紀州浪漫」2014年冬号「南紀熊野ジオパーク」特集記事に、玉手山凝灰岩を含めた地図が掲載されているのも発見。(※下記URLの記述のみ)
https://www.wakayama-kanko.or.jp/pamphlet/kisyuroman/2014/winter/01-24.pdf
柏原の地質は、今回触れなかった二上山の影響も他にあり(サヌカイト・サヌキトイドなどの瀬戸内火山区から出た石)、他にもいくつもの特徴があることがわかりました。
このような石の特性も要因となって、古代の人たちの暮らしや仕事は生まれてきたのかもしれませんね。
▲今眺めて見ると、石の掘り方の技術があったように思われます
(参考)
・柏原市文化財課サイト「高井田横穴群」
・産業技術総合研究所 地質調査総合センター 地質図データベース
・自然環境研究オフィス「関西地学の旅10 街道散歩」
・新正裕尚ほか「奈良盆地周縁部の玉手山凝灰岩・石仏凝灰岩の火山ガラスおよび全岩の化学組成」(2010)
・岩野英樹ほか「ジルコンのフィッション・トラック年代と特徴からみた 室生火砕流 堆積物 と熊野酸性岩類の同時性と類似性」(2007)
・佐藤隆春ほか「中新世の室生火砕流堆積物」(2012)
・柏原市史「柏原の地質」
・ヨッシンと地学の散歩「室生火山のなぞ」