大阪府柏原市について

大阪府柏原市について

読みは「かしわら」。奈良県橿原市と間違えられやすいのが特徴ですが、大阪府南東部に位置しています。1958年(昭和33年)中河内郡柏原町と南河内郡国分町が合併し、現在の柏原市となりました。

町の東部には生駒山系の高尾山(たかおやま)、南東には二上山が愛でることができ、中心部には大和川が流れています。

 

 

(歴史・産業)

市内の各地域には古墳時代からの様々な遺跡が存在しています。また、山間部周辺には岩山や石などをご神体とする神社があり、仏教の広まった奈良時代には国分寺や国分尼寺、河内六大寺なども建立されました。また、玉手山周辺は大坂夏の陣の激戦地となったことでも知られています。

大和川は江戸時代までかつて現在の柏原市役所前から北へ向けて流れていました。しかしながら洪水にも悩まされ、人々の嘆願もあって、1704年に現在の東大阪市において庄屋であった中甚兵衛の尽力によって堺方面へと付け替えがなされました。

大和川だった地域では新田づくりなどが行われ、河内木綿の栽培が盛んに。明治に入ると紡績業も興り、現在も晒(さらし)や手ぬぐいなどの綿織物、綿実油、柔道着などをつくる産業が今も残っています。

 

(ぶどうとワインが名産)

柏原市の名産はぶどう。そのルーツとなる山ぶどうは古来から存在していたものの、本格的に始まったのは甲州ぶどうが導入された明治時代から。昭和初期には大阪ぶどうが全国第1位の生産量を誇っていたこともありました。

その後、室戸台風などの災害を乗り越え、現在では種無しのデラウェアを筆頭に、様々な大粒ぶどうの生産もなされています。

また、ワインづくりも行われ、明治以降柏原では50社ほどのワイナリーが存在し、現在、本格的な醸造を行うワイナリーは1社が残っています。

 

(交通)

交通は大阪と奈良を結ぶ奈良街道、京都から高野山へ抜ける東高野街道における要所。亀の瀬あたりは通行の難所でもありました。江戸時代には「柏原舟」「国分舟」などの水運業が盛んになったこともあります。

近代には国鉄や近鉄などの鉄道が敷設され、近鉄では最古の道明寺線も市内を走っています。現在ではJR関西本線(大和路線)や近鉄大阪線、早ければ大阪市内から30分程度の時間で到着することができます。

また、国分地区は国道25号線・165号線、堺大和高田線が合流するエリアであり、さらにその南には西名阪高速道路が通っています。

昨今のサイクリングブームによって、自転車で出かける人たちもリビエールホール前に多く集まり、自転車工場もいくつか存在しています。

 

(人口)

関西福祉科学大学(玉手山学園)と大阪教育大学の四年制大学があり、人口が八万人を超えた時期もありました。それをピークに少子高齢化などの影響、景気低迷の社会減などにより、2019年1月現在では七万人を割り込んでいます。

今後予測されている全国的な人口減少のなか、自然豊かな街並みと歴史を背景に、柏原市では課題解決を図ろうと様々な施策が打たれているところです。