「アイツってヘンコツやなぁ、ヘンコなとこあるからな~」
大阪の日常会話で使われる「ヘンコツ・ヘンコ」。「ヘンコツ」は「偏屈」から来ているようで、西日本で多く使用されている方言です。「ヘンコ」は「編固」と辞書にもあるのですが、 偏屈 → ヘンコツ → ヘンコ と派生したとも考えられているようです。(※諸説あり)
いずれもほとんど意味は変わりないのですが、かつて、「へんこつ」を屋号にした人気のうどん店が柏原市国分本町の全南病院前にありました。
その名も「けつねうどん へんこつ」。
化学調味料を使わない、鰹や昆布などを用いたダシが絶品で、これが旨い!と評判のお店でした。
今でもインターネットで検索すると、このうどん店に関する質問や 懐かしさを語るブログ記事が見受けられます。それくらい人気の名店だったのです。
また、店の主人は愛想がない。さらに「きつねうどん ちょうだい」と注文すると、「ウチにきつねうどんはない!『けつねや!』」などと叱られることもしばしば。そんな名物親父さんで有名でもありました。
が、平成18年3月24日に惜しまれながら閉店。
ネット上の噂によると「他市に移店して、その後は不明」という情報がよく見られます。筆者もそれを信じていた一人でした。
しかし、現在の活動を続けているなかで、何と今も柏原市在住でいらっしゃることが判明。さらに偶然のご縁もあって、直接お会いする機会を得ることができました。当時の思いや、皆さんが愛してやまないあの味がどうして生まれたのか、お聴きしてみました。
▲今もご自宅に残る、へんこつの玄関を守っていた狸。二代目だそうです。
—— そもそもお店を始めたのは いつでしたか?
「40歳を迎えてからやな。それまで自動車の営業やってたんやけど、昭和50年8月20日に辞めて、その末にはいろいろ手伝ってもらって小さな構えで棟上げしたんや」
—— そんなすぐにですか?
「今まで何の経験もしてないからな、さすがに天ぷらの揚げ方とかは教わりに行ったわ。子どもたち連れて道具屋筋まで行ったけど、結局何も買わんと(笑)、てなこともあったな。ダシのヒントを知り合いに教えて貰って、実際は10月に開店。 今じゃ自分でも信じられんな(笑)この速さ。10人中10人が失敗すると思ってたみたいやけど」
▲開店まもない頃のお姿。
—— だしのヒントだけで?
「逆にそれがよかったんや。そこらのうどん屋にはないオリジナルの味やから。鰹や昆布も自分で選んで『この鰹や昆布のいいもん持って来い!』業者に言うてな、お金のことは考えずにいい味出そうとした。麺の太さも特注。おかげで開店3年はずっと忙しかった」
化学調味料を使っているようなお店は、現在でもちょっと口にしただけで すぐにわかるそうです。その味覚は今もご健在のようでした。
▲初のへんこつご主人インタビュー。 腰が引き気味の筆者
—— 名物は「けつねカレーうどん」でしたね。
「『カレー天ぷら』もあったけどな。今でも『フライドポテトうどん』とかあるけど、当時はそんなお店は珍しかった。そんなトッピングもいろいろ考えてたな。 『けつねカレー』はな、ただの『けつねカレー』とちゃうねん。お客さんに辛さの度合いも聞いて、お客さんの立場になってつくってたんや。それが大事なことや」
お話を聞きながら、噂の「へんこつ親父」さんとはちょっと違う印象が出てきました。常にお客さんの嗜好を取り入れることも大事だと。自分が考える味へのこだわりは当然ですが、お客の立場になってもその味の引き出し方を考えていた。様々な角度からの愛情も感じます。
そこで、聞いてみました。
—— へんこつ って名前はどうして決めたのですか。
「それはな、前の会社の取引先の人が『あんたやったら へんこつ やな』って言われて。そのまま名前にしてもうた。」
—— 私はそんな印象がなかったのですが、よくお店で叱られる話をお聞きしました。
「きつねうどん 言われたら 『そんなもん ここにあるかい! ウチは けつね じゃ!」言うて よう怒っとったわ(笑) たまに鉢投げたり、喧嘩になったりしたこともあったな 」
——そ、そうだったんですね(汗) では、ありきたりの質問ですけど、お店やってて嬉しかったことは?
「こんな感じでやってても、『美味しかったわ、ありがとう』と言ってくれたときやな。こちらも真剣に手間暇かけてつくってんねんから、その言葉はホンマに嬉しかった。それと、河内家菊水丸さんがラジオでえらいウチの店のこと言うてくれて。『きつね言うたら怒る親父のうどん屋がある』って」
—— あの菊水丸師匠が?
「最初、お父さん(河内家菊水さん)がたまたま通りがかって、気に入ってくれはったのがきっかけや。それから親子で来てくれるようになって、菊水丸さんもよう来てくれはった。ずっと『きつね言うたら怒鳴られるで』ってラジオで言うてくれるもんやから、こっちも嬉しくて」
お店を閉める最終日には菊水丸さんがわざわざ駆けつけ、「へんこつ」オリジナルの河内音頭を披露してくださったそうです。
▲河内家菊水丸さんが駆けつけた へんこつ最終日の様子。厳しい目のままのご主人。
柏原以外からも広く親しまれたお店であったことをあらためて思い知らされました。
最後に、移店に関する噂について。
「あれは知り合いが開店するから、つきっきりで教えに行ってたんや。・・・そこで気づいたんやけど、同じ作り方でも同じ味が出えへんねんな。地域が違うと水が違う。レシピ残しておけって言われてもなあ・・・あのときの柏原の水で作ってたから、同じもんは今じゃ作られへんねん」
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とことん追求した味へのこだわり。その探究心と様々な良質の素材が融合して、国分にしかない唯一無二の「へんこつ」の味が出ていたのです。名前のことでお客さんと言い合いになったとしても、それはすべて 「へんこつ」の「けつね」 ここにあり という自信の裏返しだったと言えるかもしれません。まさに、その自信こそが「へんこつ」「けつね」の看板だったのでしょう。
かつての仕事の話となると厳しい目になるのをひしひしと感じつつも、垣間見られる笑顔が印象的でした。
閉店して、今年でちょうど10年。最近は釣りやウォーキングを楽しみながら健康維持につとめられ、現在もお元気です。お店のない寂しさはありますが、この国分の地で注がれた心意気や情熱は、今でも受け継がれるべき町の誇りと言っても過言ではないでしょう。 今回、この機会を得られたことを、本当に感謝するばかりです。