柏原初心者のための用語集・辞典を「あるある」事例も含めて作ってみました。堅苦しく読まないでください。
2022.12.07 用語を追加しました。
2021.06.03 一部改訂しました。
【あ行】
アゼリア
柏原駅西にあるビルの名前。西洋ツツジの意味で、花の名前としてはアザレアとも言う。ツツジは市が定める「柏原市の花」。
あさしょう
柏原市立旭ヶ丘小学校の略称。
いちば(市場)
国分市場(こくぶいちば)のこと。「い」にアクセントがある場合は地名であり、買い物をする施設ではない。
いちろくご
国道165号線のこと。
インドア
現在のサンディのある場所(上市)にかつて「インドア(室内)プール」があったことから、一定の人たちは「インドアのあったとこ」と言う。スケート場でもあり、アイスホッケーチームが現在も続いている。
えんみょう(円明)
柏原のやや難読地名。「えんめい」と誤読するひとが多い。
おいでよ
Twitterアカウント「おいでよ柏原」のこと。柏原のフォロワーは「さん」付けで呼ぶ。
柏原関係のツイートをほぼリツイートするアカウントで、いわゆるBOT(自動)ではないと思われる。もし手動と考えると、その回転の速さには目を見張るものがある。
個人の会話であっても「今度柏原行こっ」「今国分駅ついた!」などと口走ってしまうと、リツイートされるので注意。
おいなーれ
河内弁で「お越しください」ということを「おいなはれ」「おいなーれ」と言う。
ちなみに「おいな〜れ柏原」と「おいな〜れ国分」は別団体である。
大県(おおがた)
720年(養老4年)からある地名。そこから考えると2020年は満1300年となる名前。古くから「おがた」と呼ぶ人も多い。オガタ通り商店街の名称にも使われているが、商店街の西は主に「清州」である。
おもて駅・うら駅
柏原駅が設置当初、玄関口(改札口)は西側にあったことから、柏原駅西側付近を「おもて(表)駅」、東側付近を「うら(裏)駅」と呼ぶ習慣が残っている。
【か行】
かしこう
東大阪大学柏原高等学校の略称。かつては柏原高等学校であった(学校法人村上学園)。
かししょう
柏原市立柏原小学校の略称。
かしちゅう
柏原市立柏原中学校の略称。
かしとん
大阪府立柏原東高等学校の略称。卒業生の活動により、外国にその名称が残ることになったという話も。
かし笑
柏原市が推し進めるハッシュタグ(SNSで用いる言語)。「かしわら」と読ませる意味と、「笑い」の意味がある。
カシワライダー
忘れた頃にツイッターのタイムラインで現れる、柏原の非公認ヒーロー。その正体を知る者はほとんどいない。コロナ禍後、消息不明となっており、無事を祈る。
特徴は、1)ライダーなのに、愛車はビーチクルーザー。 2)ライダーなのに、酒呑み。 3)それ故、久宝寺で寝過ごし快速で王寺まで行ってしまい、徒歩で帰ってくる。ライダーなのに。 4)その割に早起き。 5)口癖は「危険だ!」
柏原駅
1889年(明治22年)開業。 初代大阪鉄道の湊町駅(現在のJR難波駅)〜柏原(発着駅)区間として始まる。
JR関西本線(大和路線)柏原駅と近鉄道明寺線乗り換えの際、ホーム上にある「ICカードタッチ忘れ」が発生することあり。
また、JR柏原駅は、福知山線柏原駅(かいばらえき・兵庫県)・東海道本線柏原駅(かしわばらえき・滋賀県)があるのも、鉄道ファンの間で話題になる。
かしわら・かしはら問題
柏原市(かしわらし)と呼称し、奈良県橿原市(かしはらし)とよく間違えられる。柏原市役所には、奈良県橿原市の用件で誤って電話がかかることも。
かつては柏原市も「かしはらし」と表記していたこともあったようで、昭和の地図を見ると柏原駅が「かしはら」と記載されていた時期がある。柏原市章は「カ」と「ハ」を使っている。
また、柏原市にあるメーター会社は、柏原計器工業(かしはら けいき こうぎょう)である。
かしわふじ
「柏原・羽曳野・藤井寺」の略称。本来は「かしはふじ」だが、柏原市では「かしわふじ」と言う。
かせんじき
「大和川河川敷」を略して呼ぶことがある。
堅上(かたかみ)
柏原市の前身、柏原町と合併するまでの旧堅上村から。現在の青谷・雁多尾畑・本堂・峠などが堅上地区とされている。
堅下(かたしも)
かつて存在した旧堅下村から今も残る名称。東の山沿い、現在の安堂・高井田より北が旧堅下村であった。近鉄の駅名にその名を残す。
上町(かみちょう)
雁多尾畑(かりんどおばた)で高見商店のあたりから上の地区を言う。 → 畑上(はたかみ)も参照。
雁多尾畑(かりんどおばた)
古くからある柏原市の難読地名のひとつ。行政呼称としては(かりんどおばた)。かりんどばたと呼ぶ人も。
川筋(かわすじ)
現在の大和川の支流、長瀬川付近にある企業や人の間で、川沿いの道付近を「川筋」と呼ぶ。
川向こう(かわむこう)
大和川が柏原市の東から西へ流れるため、また柏原町と国分町合併の名残もあるのか、川の南北間で相手地域を指すときに「川向こう」ということがある。
かんじょ
関西女子短期大学の略称(非公式)から学校法人玉手山学園全体までそう呼ぶ人もいる。その歴史から「たまじょ」ともいう。
ガンダムマンホール
地域活性化も踏まえたバンダイナムコグループの「ガンダムマンホール」プロジェクト。全国の自治体に「ガンダムマンホール」(蓋)が設置される取り組みで、2024年7月には柏原市が選ばれた。
柏原市名産のぶどうとワインとともに描かれたガンダム(RX78-2)と、旧大阪鉄道亀瀬隧道に潜入したドム(MS-09)の2種類が寄贈。
2024年5月16日から柏原市内2カ所に設置された。設置場所については前者はオガタ通り商店街、後者は国分西商店会と明かされているだけで、実際の場所は公開されていない。
かんぷく
関西福祉科学大学および系列学校(高等学校など)の略称。公式ではないと思われる。 → 「ふっか」も参照。
きたしょう
イントネーションによって異なる。
柏原市立堅下北小学校の略称。オガタ通り商店街にあるスーパー北庄。
きたちゅう
柏原市立堅下北中学校の略称。
旧街道(きゅうかいどう)
柏原市にはかつての奈良街道、東高野街道が残っているが、付近の地域では「旧街道」と呼ぶ。→ 「旧国道」も参照
旧国道
柏原市では東高野街道・旧国道170号線のこと。なお、「旧街道」「京街道(きょうかいどう)」と呼ぶ人もいる。
清州(きよす)
柏原駅東にある地名。清洲と書き間違えることが多い。
こくしょう
柏原市立国分小学校の略称。
こくちゅう
柏原市立国分中学校の略称。
こくひが
柏原市立国分東小学校の略称。
ゴジラ
ゴジラ(1954)のプロデューサーだった東宝の田中友幸氏の出生地(出身地)は、柏原市(旧堅下村)である。田中氏は1970年大阪万博にあった三菱未来館の映像制作にも携わったことでも知られる。
友幸は「ともゆき」だが、映画関係者、制作スタッフからは「ゆうこう」さんと呼ばれていた。
なお、1983年に同氏監修による「東宝映画特撮全史」が出版された際、自ら「大阪府堅下(現在の柏原町)というところで育った」と綴っている。編集者による誤植の可能性も否定できないが、83年当時はすでに柏原市であった。
【さ行】
地下町(じげちょう)・下町(しもちょう)
雁多尾畑で高見商店のあたりから下の地区を言う。本来は地下町(じげちょう)が由緒正しいとも言われ、下町(しもちょう)を使わない人もいる。 → 畑上(はたかみ)も同義。
市内(しない)
一部の柏原市民の間では、「市内」とは「大阪市内」のことを指す。
ただし、会話のなかでよくわからない場合、「それって大阪市内?柏原市内?」と聞き返すことも度々である。
しもしょう
柏原市立堅下小学校の略称。2022年には創立150周年を迎える。
昭和町(しょうわちょう)
現在の住所表記で、国分本町6〜7丁目あたりのかつての地名。
そとかん
大阪外環状線の略称。
【た行】
だいきょう・だいきょうだい
大阪教育大学の略称。「だいきょう」は公式でも使われている。「だいきょうだい」は近鉄大阪教育大前駅のこととして呼ぶ人もいる
高尾山(たかおやま)
柏原市東部にある生駒山系の標高278mの山。「たかがみさん」とも呼ばれる。東京の高尾山は「たかおさん」。
たまじょ
→ かんじょ を参照。
たましょう
柏原市立玉手小学校の略称。
たまちゅう
柏原市立玉手中学校の略称。
玉手橋
玉手地区住民にとって何気ない風景として存在していた玉手橋が、映画「国宝」のロケ地となって様相が一変。聖地巡礼の橋となりつつある。
もともとは玉手山遊園地(現在の玉手山公園)への通行路として、旧大阪鉄道(JR西日本の前身の同名会社とは別・現在では近畿日本鉄道の一部)によって造られた。五径間吊り橋という珍しい形状で、柏原市の登録有形文化財に指定されている。
なお、長く昭和3年築とされていたが、道明寺天満宮から発見された史料から昭和4年説が有力となっている。
【な行】
中野町・中ノ町(なかんちょう)
現在の住所表記で、国分本町5丁目あたりのかつての地名。なかんちょと呼ぶ人も。
長瀬川(ながせがわ)
かつての大和川は安堂付近から北へ流れていた。その名残のひとつが長瀬川。長瀬は東大阪市の地名。
江戸時代、現在の東大阪の庄屋・中甚兵衛(なかじんべい)が中心となって幕府へ陳情したあと、大和川が西へ付け替えられた。旧大和川の土地は砂地の特性を活かし、綿(棉・わた)の生産地に。綿からは河内木綿(かわちもめん)と呼ばれる品が生まれ、近代には綿をきっかけに織物、紡績、油もつくられるようになった。
近年、川沿いの道路は整備され、放流された鯉が多く棲息している。八尾の玉串川とともに「世界かんがい施設遺産」に認定。あちこちでポケモンコミュニティが築かれている。
なんしょう
柏原市立堅下南小学校の略称。
なんちゅう
柏原市立堅下南中学校の略称。
にーご
国道25号線のこと。
【は行】
はた
雁多尾畑を「はた」と呼ぶ。 → 「雁多尾畑(かりんどおばた)」も参照。
畑上(はたかみ)
雁多尾畑で高見商店のあたりから上の地区を言う。 → 上町(かみちょう)も参照。
畑下(はたしも)
雁多尾畑で高見商店のあたりから下の地区を言う。 → 地下町(じげちょう)・下町(しもちょう)も参照。
ひがし・ひがししょう
柏原市立柏原東小学校の略称。
東町(ひがしちょう・ひがっちょう)
現在の住所表記で、国分本町4丁目あたりのかつての地名。
東山(ひがしやま)
高尾山付近の山々を総称して使う。この名が使われた運動広場が山中にある。
東条(ひがんじょう)
柏原市の難読地名のひとつ。「ひがんじょ」と言う人も。
平野(ひらの)
「ラ」にアクセントをつけると、柏原市の平野をさす。大阪市平野区はその強弱が薄い。
ふっか・ふっかだい
関西福祉科学大学の略称。公式でも使われている。
ぶどう(葡萄)
大阪のぶどうの歴史は古い。柏原市のぶどう栽培は明治時代、堅下の中野喜平が甲州ぶどうの栽培に成功したことがきっかけで広がり、昭和初期には栽培面積が全国で第1位だった。
現在でも大阪府は全国第7位(2022年度)の生産量で、デラウェアに限っては全国で第3位を誇る。「本ぶどう」と呼ばれる甲州ぶどうやデラウェアからワインも醸造。
明治以前にも日陰樹として存在し、寺社にはぶどうにまつわる彫刻なども見つかっている。本ぶどうを解析すると、シルクロードの伝搬と似たルートで中国から直接伝わってきたと考えられている。柏原のぶどうの歴史は奥深い。
葡萄坂(ぶどうざか)
柏原ぶどうの看板がある信貴大県線をサイクリストが呼ぶようになって広まった。自動車に乗る人は関電道路(かんでんどうろ)と呼ぶ人も多い。
ベンツマーク
柏原市章のこと。または柏原市役所の公用車のこと。
ちなみに、プロゴルファー柏原(かしわばら)明日架選手のスポンサーは「メルセデスベンツ社」で、ユニフォームにベンツマークが光るが、柏原市とは関係がない。
本局(ほんきょく)
柏原では大正にある柏原郵便局のこと。
【ま行】
幻の鉄道トンネル
大和川河川事務所による亀の瀬地区の地すべり対策で、排水用トンネルを掘削したところ発見された明治時代(1892年)の鉄道トンネル。正式名称は、旧大阪鉄道亀瀬隧道(ずいどう)。柏原市の有形文化財に指定されている。
内部は当時の煉瓦(レンガ)造りのまま保存されており、天井には機関車の煤(すす)の跡が残る貴重なトンネル。
大和川河川事務所の亀の瀬地すべり歴史資料室のインフラツーリズムツアーへ申し込むと、プロジェクションマッピングとともに見学が可能である。
マンホール
柏原市のマンホール蓋は名産の「ぶどう」の絵柄となっている。マンホールカードも発行。
【や行】
大和川(やまとがわ)
江戸時代まで、大和川は現在の柏原市役所付近から北(大阪市内)へ向けて流れていた。
たび重なる洪水に人びとが悩まされたことから、幕府への陳情の末、現在の堺市に向けて付け替え工事が実施された。宝永元年(1704年)2月27日から10月13日という短期間で工事は完了。
今でも旧大和川の名残が、柏原・八尾・東大阪を流れる長瀬川周辺で見られる。この跡地を利用して栽培されたのが「河内木綿」と呼ばれる綿(わた)である。→長瀬川の項も参照。
大和川の上流は奈良県にある。太古の時代から生駒山系の隆起を押さえて流れていた「先行河川」と地質学上、呼ばれている。
ゆうらばし(五十村橋)
大阪府道27号(柏原駒ヶ谷千早赤阪線)旭ヶ丘にある橋の名前。 いむら→いうら→ゆうら(音読) となっていると思われるが、掲げられている道路標識には「imurabashi」とローマ字表記され、橋には「いうら橋」と書かれている謎の名称。
2020年秋、玉手山にできた「いぶらの森」(かしわら森の会)の「いぶら」も、ここから。
横尾(よこお)
信貴大県線(葡萄坂)を登り切った四つ角を東に下った地域を言う。住居表示は雁多尾畑だがこのあたりは横尾地区と言い、「横尾」と言う苗字のぶどう農家が多数。出荷組合も横尾である。夏から秋にかけてぶどう狩りも盛ん。
また、某有名芸術家も出生に関してこの地区とのつながりがあったと自伝で語っている。
よつまち
柏原駅西すぐ、旧奈良街道(市道清州今町線)の交差点に名前がない。この交差点は古町・今町・上市・大正の4つの町に接していることから、有志の人びとが「よつまち」と名づけ、にぎわいをつくろうと動いている。
この交差点では、7月のだんじり集結で大にぎわいとなることでも知られている。
【ら行】
らいはく(来柏)
来日、来阪のように「柏原に来る」ことを言う場合がある。
リビエール・リビエ
市役所北、安堂町にある「リビエールホール」のこと。施設前がサイクリストの待ち合わせ場所となることが多い。
了意川(りょういがわ)
大和川から古町、本郷地区などを流れる旧大和川の名残。大阪市内では平野川と呼ばれる。久宝寺の了意が船を通すために整備したため名づけられた説があるが、詳細は不明。江戸時代から明治にかけて「柏原船」と呼ばれる船が運行し、荷物を運び商売がなされていた。
了意川沿いの古町や本郷地区では、豊富な伏流水を利用した染色業が盛んとなり、注染(ちゅうせん)や捺染(なっせん)と呼ばれる手法で手ぬぐいや法被が今もつくられている。
【わ行】
をかしわら
柏原駅西、大正通りポケットなどで行われているマルシェ。趣深い意味の「をかし」と「かしわら」からなる。開始当初のマルシェから企画が発展し続けている。
<情緒や風情がある「をかし」、河内木綿や染色などの地場産業をもたらし、今なお独特の味わいや風合いを醸し出す「柏原」に縁があり、趣のある佇まいを持つお店や作家の人たち>、その実行委員会をも意味する。















