Interview

世界の九櫻と呼ばれるまで。歴史から展望を聴く  株式会社九櫻 (1)

株式会社九櫻 三浦 正彦 代表取締役社長

株式会社九櫻 三浦正彦 代表取締役社長にインタビュー

武道衣や武道具の生産で創業100年を超える株式会社九櫻。重層な歴史の下地となっているのが、「刺子」と呼ばれる生地づくりです。

平織りの生地を2枚同時に織り上げ、その2枚を太い縦糸で刺して縫い上げる手法によるもの。武道に適した頑丈さと独特の風合いは、長い時を紡いできた同社の歴史と伝統の証です。

その実績が海外にも広がる九櫻。同社の始まりから、三浦正彦取締役社長に伺いました。

 

武道に関わった創業からの歴史を振り返って

● 創業当時の話をお聞かせください。

大正時代、創業者早川幸三郎が家族総出で木綿の生地を縫う手仕事をしていました。その生地を持って、八尾の恩智からお逮夜などへ売りにまわっていました。

ある日、紺木綿を大阪市内の武道具店で見せたところ、「剣道の袴や剣道衣を作ったらどうか」と提案があったのが、武道に携わるきっかけです。東京にも出て剣道衣を販売していました。さらに柔道衣も作ろうと木製の織機(機織り)を2台買い、丈夫な刺子生地を織ることから始めたのです。

 

株式会社九櫻本社には、講道館柔道創始者嘉納治五郎の柔道衣を再現・展示▲株式会社九櫻本社には、講道館柔道創始者嘉納治五郎の柔道衣を再現・展示している

 

昭和初期には剣道防具を作り、武道衣や武道具を増産する必要があったため、柏原の今町に工場を建設しました。

当時は兄弟二人が恩智と柏原の2拠点で経営していました。今町ではた織り、生地を裁断し、恩智へ運んで縫製するという工程。当初は早川武道着有限会社、昭和14年(1939年)には早川武道具株式会社とし、武道の道具製造を広げました。

 

株式会社九櫻本社には、講道館柔道創始者嘉納治五郎の柔道衣を再現・展示▲今町工場では新型とともに30年以上稼働する織機もある。仕上がりを確かめながら糸の調整ができるため、独特の風合いのある生地づくりが可能だ

 

 

● 今町に工場を構えたのは長瀬川の近くという環境もあったんでしょうか。

旧大和川の名残ある長瀬川沿いは、河内木綿にまつわる産業があったことから、柏原における河内木綿の原点の場所ですね。2代目社長 早川良祐はこの土地に住み込んで工場を運営していました。

 

株式会社九櫻 織機
▲糸から丈夫な刺子生地を編むように九櫻も長い歴史が続いてきた

 

 

● 戦争の時期もありました。戦時中から戦後まもなくの生産はどうなったのでしょうか。

戦時中は武道具や武道衣の製造が止められました。そのため、もんぺや猿股(さるまた)、作務衣(さむえ)など生活に密着した衣料の縫製をするしかありませんでした。

戦後の混乱期を経て昭和22年(1947年)には早川繊維工業株式会社とし、あらためて武道具や武道衣を手がけることとなりました。

 

株式会社九櫻 三浦正彦社長▲今回の取材では九櫻の創業から語っていただいた

 

● その後は日本の経済も高度成長期に入りました。

昭和30年~50年代半ばまで特に生産したのが、剣道の道衣や防具です。専門の職人も多い時代でしたから、竹をひとつひとつ張りめぐらせる網代胴(あじろどう)が作業場に多く吊り下げられていました。菓子メーカーの懸賞賞品として、「赤胴鈴之助」の赤い胴も作っていましたよ。

 

株式会社九櫻 剣道衣など▲剣道も道衣から防具まで製造

 

現在では警察の逮捕術(※)の防具も今でも当社の職人がひとつひとつ手がけています。

昭和30年代には学校教育でも柔道が取り入れられ、柔道衣の受注が多くなりました。柔道衣に特化するようになったのは昭和50年代中頃から。現在では年間平均で約15,000着を生産しています。

※逮捕術・・・安全かつ効率的に犯人を制圧する警察独自の武術で、剣道や柔道、空手の要素が含まれている。

株式会社九櫻 逮捕術の防具なども手がける
▲逮捕術の防具も九櫻の職人の手によってつくられている

 

織布から裁断、縫製まで一貫したオンリーワンの生産

● 柔道衣の生産が大きく広がったのですね。

当社は織布から裁断、縫製まで一貫した生産を行っています。糸から製品までを手がけるのは世界のオンリーワン、当社のみ。各工程を支えるのが職人の技、長年培ってきた当社の技術の賜物です。

その背景には、講道館柔道の創始者である嘉納治五郎先生の唱えた、自他共栄や精力善用という言葉があります。自分だけでなく他人とともに栄えることを目指す「自他共栄」。世の中の役に立つために能力を使う「精力善用」。それらの理念は、当社のものづくりの姿勢として守り続けていたいと考えています。

 

株式会社九櫻の技術 刺繍  株式会社九櫻 の技術を支える職人
株式会社九櫻 の技術を支える職人
株式会社九櫻 の技術を支える人たち
株式会社九櫻 の技術を支える職人  株式会社九櫻 の技術を支える職人
株式会社九櫻の柔道衣
株式会社九櫻 の技術を支える職人
▲織布から裁断、縫製までの一貫した生産。長年培ってきた職人の技術が今も支えている

 

 

● 国際柔道連盟(IJF)の認定にも努力があったのでしょうか。

国際柔道連盟(IJF)の認定

平成8年(1996年)には柔道衣のカラー化があり、現在も続く青い柔道衣の採用に貢献しました。オリンピックごとに基準が定められるので、そのたびに提案もしています。

昭和63年(1988年)のソウルオリンピック前には重さの基準変更に迫られました。1㎡あたり750g以内かつ2200N(ニュートン)の強度がないと認められない。これまでの綿100%ではどうしても750グラム以上となることから、3割はポリエステルを入れるものの7割は綿を入れるようにして強度を保つ提案をしました。

袖や襟、裾まで細部にわたる厳格な規定があります。例えば規定によって裾が折れてしまうことを避けるためには、当社の最新の織機も改良するなどの工夫も凝らしています。

 

国際基準を満たす株式会社九櫻の柔道衣▲厳しい国際基準を満たすための工夫と努力を重ねてきた

 

現在、国際基準を満たすのは16社。そのうちの1社が当社です。国際基準を満たすなかで、日本の柔道として「技(一本)を決めてこそが柔道である」という視点が大切と考えています。日本の柔道の考え方を常に頭に入れ、提案と生産を重ねています。

 

後編へ続く

 

撮影:natully photo(ナチュリーフォト) 萩 沙織