弥生時代から古墳時代の移り変わりは、明確に分かれ目となる線引きはありません。
今回の講座は、邪馬台国の時代とされる2世紀〜3世紀、河内ではどんな遺跡が発掘されたか、資料とともに解説する内容でした。
なかでも興味深い話は庄内式土器と言われる、弥生式土器より薄く形も異なる土器が、八尾を中心に多く見つかっていること。
柏原では船橋遺跡や本郷遺跡でも発見されています。これらは山陰や吉備、四国などから人の手に移動してきたと考えられています。
対して、邪馬台国の遺跡の可能性があるとも言われる、桜井市の纏向遺跡ではむしろ東海地方や北陸から移動してきた土器が多く出土しているそうです。
安村館長は、当時の庄内式土器の西からの移動は中河内でとどまっていて、纏向遺跡ではむしろ東からの移動があったと考えるのが自然ではないか、と出土している現状から解説。
すでに当時は初期の前方後円墳である箸墓古墳が築造されている時期でもあり、そういう意味でも庄内式土器の分布は興味深い、とのことでした。
最後は船橋遺跡や本郷遺跡の発掘現場の画像も掲示され、解説がありました。次回の講座は古墳時代に入ります。
(2024.05.27 23:15 最終更新)
(余談)
この講座に向かう前、偶然にも弥生人そっくりさんの吉田さん(柏原市在住)と出会いました。ちょうど5月26日に鳥取で開催の「ねんりんピック」150日前イベント(炬火採火式)に向かうところでした。
現在も弥生時代をキーワードに、柏原と鳥取の間で交流があるのも不思議な縁ですね。
「NHK鳥取NEWS WEB」より しばらく下記リンク先に動画で紹介されています
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https://www3.nhk.or.jp/lnews/tottori/20240527/4040017795.html