元日の能登半島地震から1年。阪神・淡路大震災から30年になろうとしています。防災や災害支援にも取り組む「縁起でもない話をしよう会@柏原」が、昨年(2024年)12月21日に開いた「受援(じゅえん)できる街づくりを話そう」の模様をリポートします。(※最新更新日 2025 01.17. 21:35)
年末の慌ただしいなか、会場の柏原市立市民プラザ中会議室には20人ほどの参加者がありました。
地元で薬剤師の吉本さんが進行し、まず「能登半島地震が起きた元日に、何をしていましたか」という問いかけ。
参加者のひとりは偶然、石川県から帰阪するサンダーバードに乗車していたそうです。車両は直ちに緊急停車し、動けない状態。自家発電できる車両が限られ、不安な時間が長く続きました。ようやく乗客に物資が届けられたのは、ペットボトルの水1本と栄養食品1つ。鉄道職員からは「お腹が空いた人はお土産を食べてください」とアナウンスがありました。
阪神・淡路大震災から30年が経ちますが、それでも「避難所には季節に合わない衣料品などが支援物資として届く」と吉本さんは述べます。被災地の真のニーズを汲み取ることが大切だと説きました。
この会は医療、介護、福祉などに携わる人たちが発起人となっています。皆さんが能登半島地震の被災地に足を運んでいます。
日本医師会災害医療チーム JMAT(Japan Medical Association Team)で、中市さんは4月に奥能登へ向かいました。大きな木造住宅が多く倒壊している現場で、住民の医療体制に参加しました。
ようやく仮設住宅が建築されて少し明るい兆しが見えたね、と話していたところ、9月にはさらに豪雨災害。まさに自ら訪れた仮設住宅が浸水している様子をテレビ画面で見て、心苦しいやりきれない思いを打ち明けました。
玉手山安福寺の大崎さんは自ら進める「出張除夜の鐘」を12月16〜17日に七尾市の民間災害ボランティアセンター「おらっちゃ七尾」へ届けました。
現地で「これからお正月を迎えるのが怖い」という不安な声を、直接耳にします。本来ならハレの日である正月が苦痛となる被災者の状況を目の当たりにし、「現地を訪れる前と訪問後の気持ちに変化が起きた」と話します。
高齢化した集落では、被災や避難によって地域のキーパーソンだった存在の消失も見受けられました。
▲大崎さんが訪れた民間災害ボランティアセンター「おらっちゃ七尾」のリーフレット
「倒壊した住宅の撮影もやめてほしい、SNSにアップしないでほしい」という声が聞かれたそうです。その一方で「伝えていくのが、これからのまちづくりになる」という声もあり、双方の意見の板挟みになった心情も打ち明けました。
大崎さんは、柏原市で「レトルトカレーなどの食品」を貧困家庭に送るために「フードパントリー」の取り組みも行っています。この取り組みが被災地でも有効なのか、現地のボランティアセンターで確かめた上で、除夜の鐘を引き取りに行く際、集約した物資を届けることにしています。
▲玉手山安福寺フードパントリーの取り組みの様子
医療・介護双方の資格を持つ神崎さんは、いしかわ総合スポーツセンターへ。そこは1.5次避難所と呼ばれる体制に指定された場所。1.5次避難所とは、「公民館などの1次避難所から、自宅や2次避難所へ移動前に設置される避難所」を言います。
医療ニーズの高さ、介護ニーズの高さなどで3カ所に分離された避難所で、直接被災者に向き合いました。「写真に残る私の笑顔は久しぶりに友人と会えた安堵によるもの」と述べ、それまではずっと緊張状態にあった精神状況を語りました。
施設の近くでは今なお消防車が駆けつけ、行方不明者の捜索活動が続いていたことを実感しながら手当をしていました。
「自然を恨むことなく、自分ごととして災害対策をともに行う」ことも考えさせられたそうです。
この日、冨宅市長も公務多忙のなか時間を割いて訪問。自身が阪神・淡路大震災をきっかけに防災意識が強くなり防災士の資格を取得したこと、大学との連携でも防災体制の整備、1月18日開催の防災講演会についての説明がありました。
また、柏原市災害ボランティアコーディネーター会からは、制作されたばかりの「携帯用防災コンパクトガイド」が配布されました。
多くの実体験が語られ、主宰の吉本さんは「受援できる街づくりを皆で考える時間が足りなかった」と、終了後に反省の言葉を口にしていました。受援(じゅえん)とは、支援を受ける体制づくりを考えるために考案した言葉。
が、地元の民間の集まりでこれほど多岐にわたる能登半島地震の状況を柏原で耳にすることはなく、希少な機会でした。高齢化・自然・物資の送り方(届け方)などのキーワードにヒントもありました。
「転居したばかりで、近くにどのような災害があったのか知らない」という参加者の声も。日頃から避難所やハザードマップの確認とともに、万一柏原で災害が起き、ライフライン・交通・橋などが機能しなくなった際の町をそれぞれが考える時間にもなりました。
※(2025.01.17 中市さんの医療チームの表記に誤りがありました。お詫びして訂正します)