
映画「国宝」(監督:李相日)を鑑賞しました。本家と異なる出自を持つ喜久雄(吉沢亮)と将来を約束された御曹司俊介(横浜流星)。二人の歌舞伎役者の生き様を描いたストーリー展開の凄まじさに、思わず見入ってしまいました。
そこで、この映画のロケ地となった玉手橋をふたたび取り上げます。(写真は2023年の記事で使用したものです)。

「玉手橋に横浜流星が来ていた」という噂が、かなり前に流れていました。X(旧Twitter)での目撃情報を検索すると昨年3月末か4月初旬ごろのように思われます。投稿された写真には巨大なクレーンでカメラが吊られている光景があるので、おそらく映画用の本格的な撮影かと。
(→2025.06.24 追記:その後、Xの地元のフォロワーから2024年4月1日と教えていただきました)
その少し前、映画「正体」のロケ情報(こちらも公開後に判明)があったため、当時は信じられなかったのですが、まさか「国宝」のロケだったとは。
喜久雄(吉沢亮)と俊介(横浜流星)の少年時代、さらに成人になってからの場面でも、玉手橋と石川が現れます。筆者が印象に残った場面は、石川河川敷での稽古シーン。僅かな時間ですが、石川の水面からの撮影角度など、玉手橋も含めぜひ映画館のスクリーンで堪能してほしいですね。
▲予告編でも玉手橋が現れる
2023年の記事にも記述したように、玉手橋はかつて玉手山遊園地への通行路として、旧大阪鉄道(近畿日本鉄道の前身・JR西日本とは別会社)によって造られました。それまでは、北にある石川橋などを渡るしかなかったそうです。
現在は、柏原市玉手地区の住民にとって、近鉄(南大阪線・道明寺線)道明寺駅などへ渡るために欠かせない存在。歩行者・自転車のみ渡れる橋となっています。
▲五径間吊り橋として初の登録有形文化財に。旧玉手山遊園地へ向かうために作られた
どこか西洋的、近代建築のレトロなデザインを感じさせる佇まいは、かつての遊園地の風景を思い起こさせます。映画は1960年代からの約50年間が描かれており、この雰囲気が合致したのかもしれません。
ケーブルでつながれた柱間(径間・けいかん)が5つある「五径間吊り橋」としても珍しく、登録有形文化財に指定されました。

実はこの玉手橋、ほんの数年前まで「昭和3年(1928年)に架けられた」とされていました。今回の映画をきっかけに投稿された記事や投稿でもほとんどが昭和3年と記載されています。
が、道明寺天満宮から見つかった当時の資料から昭和4年(1929年)の説が明らかになっています。
見つかったのは「渡初(わたりぞめ)式の祝詞(のりと)」。祝詞とは神事において神に対して唱える言葉で、感謝と安全の願いが込められています。玉手橋の渡り初めのための祝詞、その表書きには「昭和四年三月十七日」の日付が記されているそうです。さらに起工式(着工の式典)は昭和3年8月という記録も。
(参考)道明寺天満宮 Facebookページで「国宝」を紹介する投稿では昭和4年
https://www.facebook.com/tenmangu/posts/pfbid04c4kFiEkHT3WJacx43tiE5qSRnMYPY5qZUJDavvoLRrnUdWQHXiXWRfQMKzSdveBl?locale=ja_JP
これまでの昭和3年説は、昭和27年に刊行された大阪鉄道の歴史を振り返る「大鐵全史」が元になっています。
この件は、筆者も前回記したJ:COM LIVEニュース放送後に昭和3年説だけを説明したことから指摘があり、当時の勉強不足を痛感した苦い経験でした。
とは言え、かつて玉手地区に居住していた筆者にとって、思い出深い場所。玉手地区や道明寺に暮らす人びとにとって、シンボル的な存在です。
映画「国宝」のような大作でクローズアップされたのは、町の魅力として喜ばしい話。これから聖地巡礼としての来訪者もありそうですね。
参考出典:広報かしわら2019年9月号 柏原市文化財課コラム「玉手橋に新事実?!」
https://www.city.kashiwara.lg.jp/docs/2024091200031/?doc_id=28908

2012年に「かしわらイイネット」を設立。地域の情報発信をはじめSNS講座講師、各種講座の主催も担う。趣味は音楽、天然石探しなど、いずれもロック。