【3/6~3/24 5/31まで臨時休館。2020年9/6までの展示】
1970年、大阪府吹田市の千里丘陵で大阪万博(日本万国博覧会)が開かれました。世界の国々、日本企業によるパビリオン(展示館)が建ち並び、のべ6400万人もの入場者が押し寄せた、国の一大プロジェクトでした。
そのひとつのパビリオンに着目した「70年大阪万博から50年」が、2月13日(木)フローラル市民大学講座で行われました。
講師は、柏原市立歴史資料館参事の石田成年さん。石田さんは10年前から70年大阪万博の資料を個人で集め、調査を行ってきました。
▲講演する石田さん
50年の月日が経過した2020年、ひとつの成果としてこの講座が企画されたものです。石田さんいわく「落語で言えばネタ下ろし」となる、本人にとって初めてのお話に。時折笑いも交えつつ、楽しめる工夫で場を和ませます。
冒頭、大阪万博の細かなデータを示し、当時披露された「ワイヤレステレホン」「電気自動車」「動く歩道」などは、現在では日常に存在していることを説明。
その後は今日の主題、「三菱未来館」のお話に。
▲三菱未来館は太陽の塔に向かってすぐ右の好立地に建てられた
石田さんが三菱未来館を採り上げた理由、それは、その制作を統括したのが柏原市出身の田中友幸氏であったからでした。
▲田中友幸氏は堅下村(現在の柏原市平野)出身
田中氏は、ゴジラなどの映画を多く手掛けたプロデューサーであり、この三菱未来館では特撮映画における描写手法や技術を応用しました。
テーマは「日本の自然と日本人の夢」。長い時の流れのなかで人類が自然と共存し、未来を切り開いた50年後の社会が描かれました。
当時としては最新の映像技術が用いられ、入場者は「暴風雨」「火山の噴火」「暗黒の宇宙」「海の都市」「未来都市」を疑似体験していきます。これらの映像は円谷英二監督の遺作となり、当時の特撮映画の美術スタッフが多く関わりました。
▲映像にはゴジラなどの特撮美術スタッフが関わった
今回石田さんが強調したのは、この未来館で描かれた50年後とは、現在の2020年であることでした。
石田さんが取り寄せた三菱未来館のパンフレットには、「50年後のあなた」という項目があります。
そこには、「家庭」「住宅」「学校(教育)」「オフィス」「病院」「スポーツ」「農業」「漁業」のカテゴリ別に、当時の50年後の姿が記されています。ある意味、予言。
▲「50年後のあなた」より
今となっても非現実的な記述も散見されるものの、
「未来の住宅には、一生のうちで唯一の財産という所有物的な考えはなくなる」
「機械文明に囲まれて生活する人間にとって、もっとも人間的な行動となるのは、スポーツである」
「人工照明により、栽培日数は短くなり能率的で生産力は増大する(農業)」
「魚の群れを発見すると種類や量などを、漁業レーダーで知らせてくる」
「勉強の場は、家庭に移り、ワイドテレビに送られてくる教育放送を聴き、難しい所はビデオテープにとって復習する」
など、現在ではあり得る考え方や技術も細かく記されています。
その後、田中氏が立ち上げた「日本創造企画株式会社」の小史によると、「自然と人間の調和については『人間が自然をうまく開拓して、その中に溶け込んだ生活をするのが未来社会』とした。<略>昭和45年代の子どもが背を伸ばして見られる正夢。ターゲットは50年後に設定することとした」とあります。
▲三菱未来館で想定された未来の姿
三菱未来館の展示は、「シルエトロン」と呼ばれた映像技術で、入場者が描いた自分自身の姿が、電飾映像として表現される楽しみで締めくくられました。
そのタイトルは、「あなたも参加する」
50年後の未来は便利さが増しているはず。しかし、それでも常に「あなた」という生身の人間がいる。
石田さんは、田中友幸氏が描いた未来は『理論的にも技術的にも妥当な夢』があり、実現化された内容もある。その上で「70年万博でこのような事業を執り行った田中氏が柏原市出身であることを、市民の皆さんにも広く知ってほしい」と締めくくりました。
※柏原市立歴史資料館では、ミニ企画展「大阪万博から50年 – 田中友幸が描いた未来 -」が4月26日(日)まで開催されています。臨時休館終了後~9/6までに変更となりました。
ここには、実際に三菱未来館の案内役(ホステス)を務めた柏原市民の方が所有する制服、また、田中氏の美術スタッフとして活躍した井上泰幸さんによる原画(展示映像のモチーフとなった原画)が展示されていますので、お時間のあるときにご覧ください。