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100年前、あの宮沢賢治が柏原へ来ていた!〜研究フォーラムより〜

宮沢賢治と柏原

 

100年前、宮沢賢治が柏原へ来ていた。

これまで知られていなかった詩人・作家宮沢賢治と柏原との共通項を報告する「宮沢賢治と柏原」研究フォーラムが、3月12日(土)に行なわれました。 主催は 柏原歴史研究会 (共催 宮沢賢治来柏100周年プロジェクト)、会場は柏原市立男女共同センター。

パネリストとして、 石田成年氏(柏原市立歴史資料館)・寺本光照氏(鉄道写真家)・宮本知幸氏(柏原市教育委員会)の三名の方々から、それぞれの立場や分析による発表が行なわれました。

 

宮沢賢治と柏原

 

主催の柏原市歴史研究会 桝谷さんによると、「3年ほど前に『柏原市に宮沢賢治が来ていた』という事実がある」という情報が寄せられたそうです。(その事実については、宮沢賢治を研究されている方の下記Webサイト に掲載されています。2023.01.13訂正

(2023.01.13 追記)
宮澤賢治の詩の世界

・「農商務省農事試験場畿内支場」
https://ihatov.cc/blog/archives/2008/06/post_555.htm

・「運命の柏原駅」
https://ihatov.cc/blog/archives/2008/10/post_583.htm

 

初めて聴く事実を、柏原市文化財課の宮本さん(当時)と石田さんに伝え、そこから調査が始まり、2014年に宮本さんがひとつの記事にまとめられました。

↓柏原市ウェブサイト (2014.01.08)
宮沢賢治と柏原 賢治は、かつて柏原の地を訪れていた

この内容によると、宮沢賢治は大正5年(1916年)、盛岡高等農林学校の修学旅行で、奈良から国鉄に乗って柏原駅に着き、当時柏原駅付近に存在した「農商務省農事試験場畿内支場」を見学したそうです。また、その5年後には、親子旅行として太子町にある叡福寺に向かう予定で柏原駅を通った可能性がある、という話が書かれています。(詳細は上記ページに記載されています)

 

フォーラムでは、まず、宮本さんから執筆した記事の詳細や経緯についての説明。現在、その跡地としては痕跡のない「農商務省農事試験場畿内支場」の位置は、西は黒田神社から南側、さらに現在の大正地域まで拡張され、東はオガタ通り商店街付近にあり、面積としてはおよそ6ha(ヘクタール)だったそうです。(東側の旧大和川付近は、それより以前、綿の畑が広がっていたとのこと。)

宮沢賢治と柏原

 

また、石田さんからは、様々な文献を読み解き、僅かに残っていた絵葉書や風景写真をもとに畿内支場の姿が垣間見えたこと、1916年当時の時刻表から修学旅行の足跡を追うなど、様々な内容を。

 

宮沢賢治と柏原

 

中でも、当時場長だった加藤茂苞(しげもと)の功績(畿内支場でのイネの品種改良)があって、のちに陸羽132号という東北の冷害に強い品種が生まれたこと (さらにその系統からはコシヒカリなどの有名なお米が生まれている)が強調されました。

 

 

宮沢賢治と柏原▲JR柏原駅西口に置かれている説明

 

 

最後に、鉄道研究家の寺本さんからは、現在と異なる当時の国鉄や私鉄の状況、宮沢賢治が乗ったと思われる客車の構造などについて、鉄道に造詣が深い寺本さんならではの細かなお話がなされました。

 

今回は、主に宮沢賢治が修学旅行で柏原に来た1916年についての報告となりました。農事試験場については今でも資料に乏しく、100年前の風景写真などでもいいので何か提供をお願いしたいとのことでした。

 

宮沢賢治は、下記のような詩を残しています。

君が自分で設計した
あの田もすつかり見て来たよ
陸羽百三十二号のはうね
あれはずゐぶん上手に行つた
(稲作挿話)

 

 

宮沢賢治の詩にも「陸羽132号」の言葉が現れます。 陸羽132号が生まれたのは加藤茂苞が畿内から陸羽支場(秋田県大曲市)に移ってからのこと。もしかしたら、すでに畿内での見学において加藤師からこれにつながるヒントが示されていたのかもしれない、と推測する人もいます。

いずれにしても、柏原駅付近に農事試験場が存在していたことは事実で、東北など遠方からも技師が集い、イネの交配によって品種改良をどんどん行っていた。 この改発によって、冷害に強い東北のお米が生まれ、その系統から私たちのよく知るお米も存在するに至ったと言える、と まとめられました。

「柏原に稲の品種改良を行なう施設があった」

「お酒を醸造する研究者が実習していた?」

「あの宮沢賢治も柏原駅での乗り換え(現在の近鉄道明寺線への乗り換え)を間違えたかもしれない?(※宮本さんによると諸説あるとのこと、またもしかしたら奈良線を利用した、ということも考えられないこともない)」

いくつかの問いから、米・酒・鉄道 というキーワードも見えてきたり。

また、農をする人は当然、「土」や「水」にも関心があるでしょう。

 

他にも、宮沢賢治の童話や詩には「石」に関する言葉が多数出てきます。幼少時、石集めが趣味で「石っこ賢さん」と呼ばれていたそうです。 この日説明のあった旧柏原駅に敷設されていた御影石も、もしかすると興味深く見ていたかもしれません。さらに江戸時代より前はこのあたりは旧大和川でした。

単に事実をたどるだけではなく、宮沢賢治を通して教えられる、町と生活に関するキーワードが、いくつもあるような気がしています。

 

▼JR柏原駅西にある、明治からあった石のモニュメント

宮沢賢治と柏原