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「弥生時代の柏原もスゴイ!」弥生人そっくりさんも登場して歴史を学ぶ

弥生時代の柏原もスゴイ!

歴史的には古墳・奈良時代、大阪の陣などの遺跡や記録の多い柏原市。が、弥生時代(紀元前10世紀〜前方後円墳が出現する3世紀ごろまで)にも貴重な遺跡が発掘されています。

そんな弥生時代の柏原にスポットを当てた「弥生時代の柏原もスゴイ」という企画展が行われ、3月5日には柏原市立歴史資料館で基調講演がありました。

最近、鳥取県の「青谷上寺朗 弥生人そっくりさん」として話題となった柏原市在住の吉田昌弘さんも登場し、司会進行。

 

弥生人そっくりさんの吉田さん
▲講演前に青谷上寺朗 弥生人そっくりさんの吉田さんが登場し、場も和やかに

 

講演には、市立歴史資料館山根学芸員、大阪府立弥生文化博物館の鹿野総括学芸員が登壇。それぞれの調査の立場から説明がありました。

山根さんからはかつて河内湖だった大阪平野の地形の説明からはじまり、弥生時代の柏原市各地は陸で、遺跡が残っていることを解説。旧大和川沿いに集落がつくられ、戦闘的防御の理由で次第に高地性集落へ移っていったと考えられるという話がありました。

 

弥生時代の柏原もスゴイ!
▲弥生時代の柏原の遺跡の数々を説明する山根さん

 

その象徴として、市内南部の玉手山遺跡で見つかった鉄鏃(畿内では珍しいとのこと)や奥山遺跡で採れたサヌカイト片を紹介。

弥生時代の柏原もスゴイ!サヌカイト
▲奥山遺跡で見つかったサヌカイト片を実際に見せてもらった

 

その他、各地の遺跡で描かれた絵には鹿が多いことから、柏原で見つかった遺跡にも鹿の絵があるとの自論も展開し、弥生時代の生活の様子を語っていました。

 

鹿野さんは弥生文化博物館に勤務する以前は、恩智川遊水池工事現場における発掘調査に関わっていたそうです。

恩智川遊水池工事現場周辺は扇状地などの地形で微高地。発掘場所における墳丘(方形周溝墓)は東西南北を正確に測量し、四辺が造られた形跡が残っていると解説。

平野加美遺跡とほぼ同じ規模の大きさで同遺跡からは20以上の墓が見つかっていたので、ここにも同数規模の墓があったかもしれない、説明がありました(その後の時代や地形の変遷によって実際の墓は発見されなかった)。

 

弥生時代の柏原もスゴイ!
▲自ら柏原で発掘作業をしていた鹿野さんによる解説

 

他にも、船橋遺跡の弥生式土器は船橋色と言われ、生駒山系産と思われる土の色づきがあること、日本で10ほどしか発見されていない多紐細文鏡(たちゅうさいもんきょう)が柏原市の高尾山で見つかり、人の手に渡り続け、朝鮮半島まで移っていたのが買い戻された、という細かなエピソードも披露されました。

 

弥生人そっくりさんの吉田さんも円滑な司会進行で、以前大阪府立弥生文化博物館で会っていた鹿野さんも驚かれるほど。吉田さんも「柏原市の弥生時代を知ることができて満足でした」と感想を述べていました。

 

弥生人そっくりさんの吉田さん
▲司会も担当し「弥生時代の柏原を多く知ることができました」と、吉田さん

 

青谷上寺朗と青谷弥生人そっくりさんが記念撮影
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