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柏原に来たことがないのは誰でしょう【かしわらクイズの答え】

かしわらクイズ

1月26日のTwitterで出題したかしわらクイズ。「柏原に来たことがない」という問いだったのですが、答えが見事に分かれてしまいましたので、用意した写真付きでお送りします。(※小林一茶関連の写真がなかなか見つからなく、今の掲載となってしまいました)

 

小林一茶

小林一茶は著書「西国紀行」のなかで、西国を旅行した際、寛政7年(1795)大坂に入り、天王寺から平野を通って、4月3日に葛井寺と道明寺そして景勝地として有名だった玉手山を訪れている、と記しています。さらに俳句を二句残しました。

写真は2017年に撮影した句碑です。玉手山公園の頂上付近にひっそりとあり、この句碑の存在を知る人はかなりの玉手山通と言えるかもしれません。

 

玉手山公園の小林一茶句碑 玉手山公園の小林一茶句碑
▲見えづらくなってますが一茶の句が刻まれています

 

ちなみに1枚目の画像にある「尾州公の荼毘所」とは、安福寺境内にある、尾張徳川家2代藩主・徳川光友の墓です。(一般見学はできません)安福寺を再興した珂憶上人は尾張徳川家からの帰依を受けたと言われています。

(参考URL)
● 小林一茶と玉手山  (柏原市にぎわい観光課)
http://www.city.kashiwara.osaka.jp/docs/2014041700087/

 

宮沢賢治

宮沢賢治は大正5年(1916)3月、盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)の修学旅行で同級生らとともに、当時柏原駅の北側にあった農商務省農事試験場畿内支場を見学しています。

これらは賢治自身が旅行途中(柏原へ来る直前)の奈良で歌を詠んでいることと、同級生の詳細な旅行日誌を合わせて明らかになっています。

農商務省農事試験場畿内支場とは、当時の国の農業の研究機関でイネの品種改良や肥料の開発が行われていましたが、大正13年(1924)に廃止されました。

農商務省農事試験場畿内支場跡地看板
▲農商務省農事試験場畿内支場跡地の看板が柏原駅にあります

 

ちなみに、宮沢賢治については1月26日に放送されたJ:COM LIVEニュースの話題として、イイネット大村がご提供しました。

(参考URL)
● 「宮沢賢治と柏原」 (柏原市文化財課)
http://www.city.kashiwara.osaka.jp/docs/2014082700022/?doc_id=1619

 

聖武天皇

聖武天皇は天平12年(740)2月、難波宮への行幸の際に今の柏原市太平寺にあったに立ち寄り、蘆舎那仏(るしゃなぶつ)を礼拝したことが、「続日本紀」に記されています。この蘆舎那仏が東大寺の大仏造立へつながったと考えられています。

智識寺礎石
▲智識寺東塔の礎石。花崗岩製で石神社(いわじんじゃ)にある

 

(参考URL)
●【コラム】龍田古道(6)聖武天皇の行幸 (柏原市文化財課)
http://www.city.kashiwara.osaka.jp/docs/2020040800307/?doc_id=13335

 

正岡子規

正岡子規と柏原市を関連づける史料は存在していません。よって正解は「正岡子規」でした。

歴史は長い年月のなかで変化する場合もありますが、このクイズは存在する史料をもとに問いを作りました。