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「宮沢賢治も踏んだ柏原駅西の御影石」柏原石おこし(1)

宮沢賢治も踏んだ柏原駅西の御影石

今回から「石」をテーマとした、ややマニアックなコラムを綴っていきたいと考えています。

柏原市内には石にかかわる神社や古墳などが多数存在しています。これらの歴史遺産については、今日に至るまで歴史や考古学の観点から綴られたり、イベントが企画されてきました。

 

ここでは「石」というキーワードで、時代に関係なく近代現代の建築物も取り上げるうちに、また別の町の姿が見えてくるのではないかと考えています。

 

第1回目は柏原駅の西の玄関口からスタート。

この西口ロータリーの南端、派出所の道向かいにあたる地点に「柏原駅西口旧駅舎メモリアルモニュメント」がぽつんと佇んでいます。

 

宮沢賢治も踏んだ柏原駅西の御影石

 

このモニュメントは、柏原駅の旧駅舎に使用されていた敷石が再利用されたものです。(下写真参考)JR西日本の前身である大阪鉄道が1889年(明治22年)に開業。近鉄道明寺線(当初は河陽鉄道)は1898年(明治31年)に敷設、今年(2018年)100周年を迎えました。

宮沢賢治も踏んだ柏原駅西の御影石

当時から敷石が存在していたとされており、これらは「御影石」という花崗岩でできています。花崗岩自体はそれほど珍しいものではありません。御影石という名前は、兵庫県の御影から採れたことが由来です。

柏原市内でも花崗岩は多く見られ、その利用は墓石や石碑など、建造物のなかでの利用頻度が高いことからよく見かけるものでしょう。

 

宮沢賢治も踏んだ柏原駅西の御影石

建造物で多く使われる理由は、その硬さ。地球の奥深いマグマのなかからゆっくり冷えて上がってくるため、その途中で様々な石(鉱物)を吸い込みながら、地表に出現します。粒々になって見えるのが、その表れです。ちなみに、こちらの御影石には角閃(カクセン)石と黒雲母などの鉱物がはっきりと見てとれます。

 

宮沢賢治も踏んだ柏原駅西の御影石 宮沢賢治も踏んだ柏原駅西の御影石

鉱物がたくさん並んでいる表面はそれだけに風化しやすい一面もありますが、全体的には硬いのが特徴です。

さて、そのように聴くと、柏原駅西口のモニュメントってそれほど珍しくないではないか、となるのですが(実際そうなっています・笑)、ここであわせて考えたいのが、少し前に話題となった宮沢賢治がかつて柏原駅に降りたという事実。

 

宮沢賢治は童話や詩人として有名ですが、農業指導に力を注ぎ、「石っこ賢さん」という呼び名もあるほど石や地学を研究した方でした。童話や詩のなかに鉱物や星の名前が出てくるのも、そのためです。

 

宮沢賢治は大正5年(1916年)に盛岡高等農林学校の修学旅行で柏原駅北西付近にあった「農商務省農事試験場畿内支場」を見学しています。

その時点でこの敷石がすでに存在していたのであれば、この御影石を眺めながら踏んだでしょう。(修学旅行では時間に追われていたようで、そんな余裕もなかったかもしれませんが)

 

いずれにしても、「農事試験場=宮沢賢治=御影石」のキーワードで、このモニュメント付近に宮沢賢治の詩の一節が謳われる石碑があれば、日本に多く存在する宮沢賢治ファンの注目する場所になるはず、とも考えるエリアなのです。(駅前ビルはアゼリアでもありますね。宮沢賢治たちが発刊していたのはアザレアですが、ほぼ同義)

 

 

(おおむら)