リビエールホールが開館して間もない頃、 もう10年ほど前のことでしょうか、ゴジラの上映会が行われました。会場にはゴジラに関する様々な展示物もあり、 今となっては珍しい企画だったと思います。
実はこの上映会、隣町にある大阪府立八尾高等学校同窓会が主催したもので、 ゴジラ初期のプロデューサー田中友幸氏が同校の卒業生であったことから、 企画・上映されたものでした。
どうしてこのような催しが柏原で行なわれたのか? と、疑問に思う方もいらっしゃるでしょう。
先に述べた田中氏は、柏原市のご出身なんだそうです。柏原ではあまり知られていない話のような気がします。
キネマ旬報社が出版した「神(ゴジラ)を放った男 映画製作者 田中友幸とその時代」の冒頭には、幼少時の田中氏が自宅の縁側で家族とともに納まった写真が掲載されています。
記述はありませんが、この写真は柏原市の旧堅下村あたりで撮影された可能性もあり、もしそうであれば大正時代頃(田中氏は明治43年生まれ)の貴重なものかも知れません。
さらに、円谷英二氏の存在が目立つゴジラですが、 その実質的な制作者は田中氏だったことを知ることができます。
制作者の魂、発祥の地とあれば、 考え方によっては、ゴジラが生まれた町とも言える柏原。
この本を読むと、古き歴史を持つ柏原からゴジラが旅立っていった、 そんな別の町のストーリーを、つい思い描いてしまったり・・・。 もし興味のある方は、一度ご覧ください。 (※現在絶版:管理人所有しています)
(追記:2014・7・26)
その後、聞き取りした資料をもとに、新たな記事を掲載しました。
→ 「ゴジラが生まれた町・かしわら」