リビエールホールで「柏原市平和展」が行われ、8月22日に見学しました。
特別展示は「沖縄戦~日本唯一の地上戦とひめゆり学徒隊~」。ちょうどこの時期の沖縄は旧盆で、月日の流れで薄れつつあるものの、ご先祖様を迎える風習が現在も残っています。そのようなタイミングでこの展示は開かれました。
▲今年の特別展示は沖縄戦
筆者は学生時代、糸満市にある「ひめゆり平和祈念公園」を訪れたことがあります。観光気分で足を運んだ自分を反省し、そこにある写真や展示の数々に心が押しつぶされそうになった記憶があります。
当時から数十年の月日が流れ、忘れかけていた沖縄戦の様子をあらためて知ることとなりました。特に今回は学生たちが次第に戦争へ巻き込まれながらも、勉強する光景が強く残りました。その後、これまでの日常がほとんど消失してしまったのです。
▲当時の資料とともに写真が展示
マニアックな話では、かつて沖縄にあった軽便鉄道の写真と路線図も1枚だけ掲載されていて、鉄道遺産を知りたい人にとっては貴重な資料だったかもしれません。
地元、柏原における戦争の跡としては、八尾飛行場(当時は大正飛行場)が近かったことから、柏原市の山裾でも掩体壕(えんたいごう)と呼ばれる、物資や飛行機を隠すための跡地が、今の健康福祉センターあたりにあったことです。
そこから当時の戦闘機のものと思われる部品が発見されたことは記憶していましたが、あらためて知ることになりました。
▲柏原にも掩体壕(えんたいごう)が存在していたことが確認されている
知らなかったのは、本郷地区の民家に、飛行機からの弾痕があることです。かつて太平寺地区の「山行き」の取材で、大和川で日本軍が防戦し、米軍機が空から機銃掃射していた事実を聞いていましたが、今回そのような資料も展示。
その他、平和を祈るキャンドル(体験もあり)、柏原のこどもたちのメッセージ、千羽鶴などが置かれていました。
特に今回は新型コロナに関するメッセージも散見され、なかなか戻らない日常や命の問題をオーバーラップさせている声もありました。
▲柏原市の子どもたちや施設の人たちによるメッセージや千羽鶴
▲当日作られたキャンドル。コロナへの心情も綴られている
SNSなどを見ると、コロナ禍で人びとが分断されていくのではないかと案じます。かつて沖縄の人たちは、いわゆる本土で差別に遭うことも多くありました。広島や長崎で被爆した人たち、孤児たちもそうでした。昔の病、他の地域でも残っているでしょう。
簡単に多様性と口にするものの、結局は自分オンリーになっていないか。足の引っ張り合いで排除していないか。自身も含め、現在の人びとはコロナ禍でどのような姿勢を見せていくのか。難しい課題ではあるものの、今回の展示を見学してこれからが問われている気がしました。
▲1985年に柏原市は「平和都市宣言」を採択しています
(おおむら)