紅葉の季節。玉手山の安福寺の風景を11月20日に鑑賞してきました。
カメラ撮影に夢中になっていましたら、偶然ご住職とお会いすることができ、本堂に入らせていただきました。筆者は昔このすぐ近所に住んでましたが、初めてのことです。(※通常は入ることができません)
平安末期〜鎌倉時代に造立されたという、厳かな阿弥陀如来を目の前にいささか緊張し、手をあわせました。
▲安福寺の阿弥陀如来。鎌倉時代ごろに造立された
以前から尾張徳川家(二代・光友)の帰依や寄付により、珂憶上人(かおくしょうにん)がこの寺を再興したという知識はありましたが、その出会いが謎でもあり、現在のご住職からこの場で直接お話をお聴きしました。
見ることはできませんが、尾張徳川家の御廟(ごびょう・お墓)が安福寺にはあります。その妻、嫡子も一緒に。歴史的な記述表現をすると、この二人はもともと正室と長男。しかしながら政治的背景があったのか、光友が三代将軍徳川家光の娘、千代姫を迎えたことにより、側室と三男となったのです。
「これは安福寺としての考えですが」と前置きした上で、「光友はどこかで珂憶上人と出会って、その複雑な家族状況についても悩みを打ち明けることがあったのではないでしょうか。だから3人揃ってのお墓があるのかもしれませんね」と、ご住職は穏やかにお話していただきました。
その後も尾張徳川家による安福寺への寄進は江戸時代末期まで続き、貴重な文化財が歴史資料館などに保存されています。(後述の夾紵棺も安福寺では保管されていません)
他にもこの場所は玉手山凝灰岩を掘った横穴や、古墳時代前期の割竹型石棺、聖徳太子の可能性が高いとされる(猪熊兼勝氏の説)夾紵棺(きょうちょかん)の断片など、歴史的な背景が多数あります。
ちなみに夾紵棺の断片を発見した関西大学の研究室の人々は、今回入らせていただいた本堂に寝泊まりしたそうです。
▲割竹型石棺。香川県の鷲の山の凝灰岩が使用されていて、側面に刻まれた直弧文(ちょっこもん)の文様がマニアの間では有名
▲安福寺までの参道には玉手山横穴があり、凝灰岩も露岩している。右下に見えるのは慈母観音像で、玉手山遊園地にあったのを移設した
ここ最近、現在のご住職は、奇数月の14日に介護者カフェを実施されていて、地域福祉のつながりを大切にした取り組みも行なっています。こちらについては、あらためてご紹介を。
「そう言えば、先代から正式に引き継いだのは2年前の今日、11月20日でした。今話しながら気づきました」
と、ご自身も驚かれていた様子でした。現在のご住職はInstagramも積極的に活用されていて発信されています。今回の紅葉もそれで知ることができました。
▲安福寺への入り口となる門。ここには4つ門があり、一般の人が入れるのは3つ目の門まで
ちょっと紅葉を見に来たつもりが、多くのことを知ることができました。どうもありがとうございました。(撮影もアップも許可をいただきました)
名称 | 安福寺 |
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所在地 | 柏原市玉手町玉手町7番21号 |
アクセス | |
Webサイト | https://www.anpukuzi.com |
備考 | 通常は本堂など建物内に入ることはできません。一般の人が入れるのは3つ目の門まで(4つ目の門に入場禁止の立て札があるので、目印にしてください)。
車で訪問する場合、お寺に直接関係のない方は、東(山の上、玉手山公園入り口への進入付近)にある安福寺駐車場をお勧めします。(お寺付近は道路の交通規制があるため) |