柏原・羽曳野の古墳や国宝をめぐるバスツアー。(前編はこちら)
昼食後は、誉田八幡宮へ。大蔵屋から徒歩約10分の場所で、先述の応神天皇陵(誉田御廟山古墳)の後円部付近、南側に位置しています。
誉田八幡宮では宮司からの解説と歴史紹介があり、八幡宮がもともと応神天皇陵の後円部内に置かれていたことを知りました。
その後、八幡宮と古墳を結ぶ放生橋(ほうじょうばし)を見学しました。放生橋は江戸時代につくられた花崗岩を材料とする橋で、急角度のアーチが特徴です。
毎年9月15日には源頼朝が寄進されたと伝えられる国宝、塵地螺鈿金銅装神輿(ちりじらでんこんどうそうしんよ)と呼ばれる神輿が、応神天皇陵へ渡る「お渡り」の儀式が執り行われます。
かつては放生橋を渡っていましたが、橋の劣化から現在は通り道を変えているそうです。なかなか入れない放生橋を古墳側から見学できました。
その後は全員揃って厳かにツアーの安全祈祷を受け、国宝である塵地螺鈿金銅装神輿(ちりじらでんこんどうそうしんよ)の実物などを拝観。(※撮影禁止のため、画像はありません)
その他、「藤だんじり」と呼ばれる3輪の珍しいだんじりもあり、そこには河内木綿による大きな布も架かっていました。貴重な機会でした。
▲誉田八幡宮の宝物拝観。普段は限定公開
誉田八幡宮のあとは、ツアーラストの玉手山安福寺へ直行。解説は柏原市立歴史資料館の安村館長です。
安福寺参道の両側には32基の横穴があり、大阪府の史跡指定を受けています。凝灰岩を掘った、古墳時代後期の横穴が多数存在しています。普段非公開の壁画のある横穴も見学しました。
本堂近くには、香川県鷲ノ山産の凝灰岩でつくられた割竹型石棺。横には直弧文 (ちょっこもん)と呼ばれる文様が刻まれています。安福寺の北側にある玉手山3号墳から出土し、移されたと伝えられています。
本堂に着くと、凍った柏原産デラウェアやお茶のおもてなし。凍ったデラウェアは初めて食べましたが、糖度を保持していて美味しい。ひんやりしたぶどうで暑さを解消。
その後、あらためて安村館長から玉手山古墳群のお話を。現在、7号墳が安福寺境内と玉手山公園で区切られるようにあり、安福寺で尾張徳川光友廟、公園には玉手山大坂夏の陣両軍戦死者の供養塔が建っています。
このあたりの話は下記ページもご参照ください。
後半は、大崎住職から徳川光友と、光友が帰依したとされる珂憶(かおく)上人の話を。
「生きづらい世の中でどのように生きるか」
江戸時代の武士の世でも苦悩した光友の生き様が丁寧に語られました。住職の話にみな引き込まれるように聴き入っていたようでした。
その後は再び安村館長も交えて、聖徳太子の夾紵棺、安福寺と叡福寺とのつながり、さらに「皆さんがご覧になられた世界遺産の古墳群は、ここにある玉手山公園の展望台からよりわかりやすく眺めることができますよ」と玉手山の立地のよさを解説しました。
最後は、大崎住職が力を入れている「出張除夜の鐘」を披露。参加者代わる代わる叩いてみました。小型ながらも精密に造られた鐘の響きに場も和み、安福寺を後にしました。
厳しい暑さのなかでのバスツアーでしたが、体調を崩す参加者もなく終了。1日で計5カ所をめぐりました。普段は入場禁止場所に入れたり、思わぬおみやげもいただいたりと、貴重な機会やサプライズもありました。
地元に潜在する魅力をひとまわりで触れる機会を得て、今後につながるようなバスツアーにも思えました。
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2012年に「かしわらイイネット」を設立。地域の情報発信をはじめSNS講座講師、各種講座の主催も担う。趣味は音楽、天然石探しなど、いずれもロック。