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「偶然は必然の積み重ね」- 柏原の近代建造物を調べた石田成年さんに聴く –

「偶然は必然の積み重ね」 - 柏原市立歴史資料館・石田さんに聴く -

 

「偶然は必然の積み重ね」

そうきっぱりと口にするのは、柏原市立歴史資料館の石田成年さん(写真上)。歴史や考古学の分野で論文を公開するには、残存する史料による裏づけが重要です。そう理解はしているものの、フレーズの背景を尋ねました。

 

昭和56年(1981年)3月、柏原市教育委員会文化財課の調査補助員として平尾山古墳群太平寺支群の任務についたのが、この仕事のはじまり。その後、正職員として採用されて以来、多くの調査・研究に携わってきました。

ある時、石田さんに転機が訪れました。平成8年(1996年)、全国的に近代的構造物の悉皆(しっかい)調査(調査対象の可能性がある標本を調べあげること)が始まり、業務を担うことになったのです。

調査事例にあった「鉄道」の文字に、石田さんの目がとまります。もともと鉄道ファンでもあった石田さんは「鉄道を起点に構造物を縦に見ていく」ことで、柏原の近代史が理解できると判断。関係者や造詣の深い人への聴き取りを行い、現在の近鉄道明寺線や玉手橋(石川に架かる吊り橋)、玉手山遊園地の歴史を調べ上げていきました。

 

近鉄道明寺線
柏原のレトロ 〜近鉄道明寺線〜 (2011.05.12) 12年前の平成11年6月25日、長引く大雨による大和川の増水により、近鉄道明寺線大和川橋梁の根元がえぐられ、いくつかが上流側に傾...

 

 

これを機に、大和川の築留二番樋カタシモワインフード貯蔵庫、北阪保育園(片山町)など、柏原市内に残る明治〜昭和初期の建造物を徹底的に調べあげます。「明治時代の鉄道トンネル発見」とマスコミにも大きく取り上げられた堅上地区の亀瀬隧道(亀の瀬トンネル)も、石田さんの調査と分析があってこそ。

 

亀瀬隧道 トンネル
▲明治時代の鉄道トンネル「亀瀬隧道」の煉瓦構成を説明する石田さん(右)(かしわらイイネットの企画での模様)

 

 

地すべり対策を行う国土交通省大和川河川事務所の工事によって偶然発見されたものですが、発見後の保存や公開が円滑に行われました。

 

亀の瀬
亀の瀬地すべり対策施設と明治の鉄道トンネルを見学 (※2016年9月2日のリポートです) 大和川が奈良盆地から大阪平野に向かう渓谷部にある亀の瀬。近世の舟運を含め、...

 

 

このような調査を続けていくうち、気づきがありました。構造物や文化をつくり上げるには、当然ながら「人」が存在することです。

 

このたび、石田さんは柏原市教育研究所発行の「柏原の教育」第41号にコラムを寄稿しました。

柏原の教育

 

コラムには「柏原の偉人」として3人の名前をあげています。ひとりは「近代水道の父 吉村長策」、もうひとりは「児童福祉の基礎づくり 武田慎治郎」、そして「ゴジラの産みの親 田中友幸」。

 

吉村長策は万延元年(1860年)に国分村に生まれ立教館(かつて国分にあった私塾)で学び、工部大学校(現在の東京大学の前身)へ。社会に出てからは西日本の近代水道施設や港湾を整備しました。伝染病を防ぐための衛生事業としても水道工事や指導に従事した人です。

 

国分が生んだ「近代水道の父」吉村長策を知る
国分が生んだ「近代水道の父」吉村長策を知る 【問屋場亭で歴史講座】 柏原市国分出身で「近代水道の父」と呼ばれる吉村長策についての話を聴講。講師は歴史資料館の石田さん、場所は国分にある問屋場亭にて。...

 

 

武田塾の創設者武田慎治郎は、明治元年(1868年)福井県の生まれ。大阪府警の勤務を経て、現在の修徳学院館長に。その後、「家庭的な雰囲気で教育、保護に取り組む」と、私財を投じて「武田塾」を創立しました。かつてはJR高井田駅のそばに大正時代の洋館がありました。

武田塾の創設者武田慎治郎
▲2014年に企画展「柏原偉人伝 武田慎治郎」を開催。この時も福井県を訪問している

 

 

田中友幸は、明治43年(1910年)堅下村で出生。八尾高校から関西大学に進み、東宝に入社したあとは、昭和29年(1954年)のゴジラ第一作を生み出しました。その後もヒット映画を生み出す一方、1970年大阪万博の三菱未来館のプロデュースにも大きな貢献を果たしました。

70年大阪万博から50年
田中友幸が描いた70年大阪万博から50年後の未来とは?【3/6~3/24 5/31まで臨時休館。9/6までの展示となりました】 1970年、大阪府吹田市の千里丘陵で大阪万博(日本万国博...

 

 

以上の3人は、石田さんの弛まぬ調査があって大きくクローズアップされた人びとです。

 

調査には独自の決めごとがあります。それは「墓参」。本人だけでなく、親族や関係者にもお墓参りも。「人様のプライベートにも踏み込むのだから、ごあいさつしてお許しを願うのは当然」と、遠方まで自費で訪れて滞在し、その足元まで調査していきます。

 

時に思わぬ出会いも。吉村長策を調べに佐世保を訪れた際、現地の人から「ラドン」(東宝の怪獣映画)のロケ地であったことを知りました。それがきっかけで田中友幸が率いたスタッフの親族に出会い、昨年の大阪万博展示を充実させる出来事となったのです。

遠く佐世保へ吉村長策を調べに行ったはずが、なぜか田中友幸へ。まさにそれこそが「偶然は必然の積み重ね」。石田さんの熱意と探究心が感じられるエピソードとなりました。

 

過去を掘り下げ、地域を見直す歴史企画の根底には、歴史資料館学芸員による丹念で緻密な史料調査が行われている。それが仕事とは言え、存在を忘れないでいたいものです。

 

この3月で、石田さんは定年を前に柏原市を退職し、佐世保に拠点を構えることになりました。

「みんな『新天地』で頑張ってください、と言ってくれはるけど、新天地ではないんです。何回も足を運んでるので」と笑い飛ばします。

「その後のことはまだ決まってもない」(3月26日取材時点)そうですが、今までのスタイルのまま、探求はまだまだ続くのでしょう。

 

(おおむら)

 

※離職されるため、表題を変更しました(2021.03.30 17時10分)