4月7日(日)、「太平寺わしらのまちづくり委員会(以下:わしまち委員会)」の「山行き」再現の取り組みについて見学させていただくため、太平寺の観音寺を訪問しました。
「山行き」とは、桜の咲く頃、かつては地域ごとにまとまって山に出かけ、桜を眺めながら宴を行い、その年の豊作を祈る風習だったそうです。
この風習が太平寺においても70年程前まで行われており、これを再現できないかと、この度「わしまち委員会」によって企画されました。
今年の桜は、例年以上に早く咲いたことで、風の強かった当日は、あいにく観音寺の桜も散りそめに。しかしながら、太平寺地域から35名の人たちが集い、親交を深めるひとときとなりました。
食事には、生節(なまぶし)を取り入れたちらし寿司が配られました(升平寿司さんによるもの)。この「生節(なまぶし)」、生のカツオやマグロ、サバなどを蒸したり、ゆでるなどし、半乾燥させたもので、他地域でも嗜まれていますが、この河内においても古くから伝わる食材となっています。
この生節をどのように食べていたのか、といったことからも、皆さんの会話も弾み、昔話に花が咲いていました。
また、太平寺に居住されている野菜ソムリエの真野さんによる野菜料理とともに、カタシモワイナリーのワインもふるまわれ、楽しいひとときに。
わしまち委員会では、かつて行われた風習を復活させることであらためて地域のつながりを大切にしたいと考えています。
総会、綿への取り組みなどのあとには、地域の年長でいらっしゃる方々から、昔の太平寺について語っていただくひとときも設けられました。
幼少時には、観音寺の屋根が独特の形をしていたため滑り台のように遊んでいた、というような話もあるなか、戦中の太平寺の状況についてもお聞きすることができました。
この河内周辺が航空基地であったため、太平寺周辺はその通信を扱うための軍が駐留していたそうです。したがって、その軍めがけての攻撃が行われ、飛行機からの機銃掃射を間近にしたという経験を細かく語っていただきました。それに伴う大和川からの日本軍の攻撃、戦争拡大によって避難した話なども。
なかなか聴くことができない実際の体験談に、このような話はさらに後世へと残していく必要があるのではないか。そう認識させられた一日にもなりました。